農・食・健康・むらづくりで新時代を拓く
「月刊「現代農業」を飾ったカリスマ人物伝フェア」
第2回 前田俊彦

酒税法は憲法違反! ドブロクづくりに百姓文化の平等と自由を体現。飄々と反骨を貫いた不屈の「土」の人
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![]() マスコミも呼んで堂々のドブロク作り(1981年) |
「現代農業」のドブロク解禁についての論陣は筋金入りだ。「ドブロクつくりがなぜわるい!」という農文協の「主張」を掲げたのが、今から35年前の1975年(昭和50)3月号だった。つづいて同年5月号で前田俊彦氏らによる「ドブロクつくりがなぜわるい!」の第2弾。前田さんの主張は「つくる自由の回復運動――百姓自身の農耕文化を!」という思想性の強いもので、「酒税法は基本的人権の侵害である」と理をきわめて論じている。その反響は大きく、同年9月号では、「百姓による農業復興の思想」という11ページにわたる異例の長論説を書いた。
1976年(昭和51)4月号からは、「隠れ思想を掘り起こす」という6ページ記事を3回にわたって連載した。「ゆい」や「いりあい」にといった「むら」(百姓)固有の仕組みに百姓自身の農耕文化、平等と自由の思想をみる前田さんの思想は、「現代農業」読者に広く迎えられ、カリスマ性を帯びてきた。
以降、編集部によるドブロク解禁のキャンペーンはつづき、「実用特集 自分でつくる本物の酒」(1979年〈昭和54〉8月号)ではドブロク、焼酎、果実酒、乳酒のつくりの極意を載せ、実に30ページものスペースを割いた。この一連のドブロク解禁の主張をコンセプトにした単行本が前田俊彦編著『ドブロクをつくろう』(1981年〈昭和56〉)だった。
本書発行の経緯については、『瓢鰻まんだら 追悼・前田俊彦』(発売・農文協、1994年〈平成6〉)で担当編集者が回想していて、発売直後の動きについて「発行になるやその反響はすごかった。共鳴の手紙、電話、もちろん注文も多かった。また、ドブロクのつくり方に対する質問が毎日のようにきた。そして、うまく出来たといってはわざわざお礼の電話をくれるのだった」と書いている。
その後、前田さんは自分では飲まないにもかかわらず、ドブロクを自醸し、国税庁長官に招待状を送ってのドブロク利き酒会を催して、ドブロク裁判に関わっていき、最高裁まで約6年間争ったが敗訴になる(1989年〈昭和64〉)。
しかし、手づくり酒に対する庶民の支持は圧倒的で、農文協からは手づくり酒の本が次々と発行されていった。『ドブロクをつくろう』は、発行から30年経った今でも「現役」で売れている。ちなみに、今年は、前田さんの生誕100年目に当たる。
まえだ としひこ(1909〜1993)
福岡県鞍手郡宮田町生まれ。戦前日本共産党に入党、治安維持法違反で入獄。戦後は39歳で延永村村長となる。合併に伴い村長を辞した後、小田実、開高健、鶴見俊輔氏らとベトナム反戦運動をともにする。70年代に入り三里塚空港反対闘争に関わり、77年三里塚に移住。市民、住民運動の現場を歴訪して「里」の思想を説き続けた「土」の人。
ワインつくりは簡単だ。つぶして発酵させ、果汁を搾って静置するだけで美味なワインが完成する
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1993年、自宅の火事による突然の死を悼み、急遽出版。不屈の生涯と魅力ある人間像を有縁の人びとの証言で綴る。