農・食・健康・むらづくりで新時代を拓く
「月刊「現代農業」を飾ったカリスマ人物伝フェア」
第7回 橋本紘二

むらを出た〈百姓の次男坊〉が、
見つめ直した農村、農民の姿
●農村を見つめ続けて
月刊誌に、約40年グラビアルポの連載を続けているカメラマンがいる。しかもいまだにモノクロ・グラビアで毎月8〜10頁。これは、ギネス世界記録ものではないだろうか。その人こそ、「現代農業」読者にはおなじみの橋本紘二さんだ。
橋本カメラマンが「現代農業」のグラビアに初めて登場したのは、1971(昭和46)年2月号。当時26歳。そのタイトルは「若者と演劇と農業と」。山形県櫛引町の農村演劇サークルのルポ。翌3月号では、「産地直送のうまい餅」。山形県庄内地方の農協婦人部が東京の下馬生協と提携して、搗き立ての庄内餅を届けはじめた農都交流のルポだ。
本人も山形市の農家出身である橋本さんは、1974(昭和49)年からは、毎月の連載を担当するようになり、以来今日まで農村・農家の暮らし(生産と生活)を、カメラを通して見つめ続けてきた。
●農民の生活をそっくりとらえる素直な目
橋本さんは、農文協から処女作としての写真集『春を呼ぶ村 越後松之山の風土とその暮らし』を出している(1978年。現在品切)。この本の帯に、リアリズム写真の巨匠・土門拳の「推薦文」がある。
「ここに越後松之山の冬から春にかけての、農民の生活がそっくりある。素直な、じつに素直なカメラの目をもってとらえた越後松之山の農民の生活が、春を呼ぶ農民の生活がそっくりここにある」
この写真集で、日本写真協会新人賞を受賞。「早く村から出たい」と思っていた「百姓の次男坊」が、カメラを持って再び農村を歩くようになる。「この『春を呼ぶ村』は、そんな自分の生まれた村を見つめ直すためだったのではなかったかと、今思うのです」(「撮影後記」より)
●山村に移り住み、農仕事の美を追求
4月になっても深く雪の残る棚田に、灰を播き、早く雪を溶かして苗代をつくる。そんな「春を呼ぶ」光景に温かい目をそそぐ。農仕事の「美」を追いかけて、2008年の秋には、新潟県十日町市松之山に移住。5畝の田んぼで酒米の亀の尾をつくり、2009年には『橋本紘二写真集 農仕事 四季のかがやき』(農文協刊)を発行。
百姓の次男坊の目は、海外の僻地農村にも向けられる。『クリヤーの山 タイ山岳少数民族の暮らし』(1998年、農文協刊)、『中国黄土高原 砂漠化する大地と人びと』(2001年、東方出版社刊)。どこにいっても、老人と子どもを見つめる橋本カメラマンの目はやさしく、近代化にゆれる農業を見る目はきびしい。
はしもと こうじ
1945年山形市生まれ。山形県東根工業高校電子科卒業。東京綜合写真専門学校卒業。日本写真家協会会員。1979年度日本写真協会新人賞受賞。主に農業問題や農村を取材し、月刊「現代農業」をはじめ農業雑誌やグラフ誌に発表している。
脱管理・脱消費をめざした若者たちの出合い、喜び、葛藤。彼らの10年の軌跡を追った記録。
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▽「現代農業」60年分の記事から、農家が主役のむら・経営・暮らし・技術の記事を厳選
▽あの頃、あの時の悩みや喜び 「読者のへや」から60人の農家の声を収録
▽記事の理解を助ける案内文や「一口メモ」、「現代農業」年表、事項さくいん付
▽本誌のグラビア・橋本紘二さんの懐かしい写真ページもあります(32ページ)
時代を@戦後復興期、A「農業近代化」の時期、B近代化の矛盾が顕れ暮らしから農業、農村を見直す時期、C地域住民や都市民を巻き込んむ新しいむらづくりがが広がった時期の四つに分けて厳選した農家の技術・知恵集。引き継ぎたい「農家の技術」を凝縮。地産地消を拓いた農村女性の元気をたどり祖父母、親世代の苦労と思いがわかる元気が湧く一冊。
